ライオンの島でアフタヌーンティーをのむ。

6週間のスリランカ滞在記。

スリランカの交通ないものばなし。

久々の更新です。

ここ1か月は就活に奔走したり他に現を抜かしていましたが

余裕が出てきたのでブログ更新を再開します。

(更新していなかった期間もGoogleやヤフー検索から飛んだ人が読んでくれていたりと

スリランカに興味ある人の参考にしてほしい」という思いが少し叶っていて嬉しい限りです!)

 

今回はスリランカ滞在2週間目くらいから溜めていたネタ、

スリランカの交通機関について書きたいと思います。

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海外に行くにあたって交通機関の違いというのは楽しみの一つですよね!

この国の主な交通手段はトゥクトゥク・バス・鉄道になります。

これは東南アジアでも一般的だと思いますが、スリランカの場合は特に「機械がとにかくない」というのが大きな特徴です。

この記事ではそれぞれの交通機関での「ないもの話」をとりあげていきます。

 

Case1:メーターのないタクシー 

トゥクトゥク東南アジアでもポピュラーな乗り物ですね。

後部に(法律上)3人乗ることができるバイクタクシーです。

(実際は節約のためいかに多くの人が乗れるかが勝負になります。私も頑張りました。笑)

 

赤、青、緑、黒の車体に、運転手が自由に装飾をしています。

青で統一した装飾や

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ボブ・マーリー好きまで(ボブ・マーリー信者なドライバーは結構見かけました。)

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トゥクトゥクは他の国でも乗れますが、スリランカの場合メーターを導入しているものがまだまだ少なく、運転手と値段交渉をするのが常です。(ほとんどの運転手は英語少し話せます。)

当然ながら観光客はぼったくられやすいので注意してください。

観光地ゴールなどを除き1キロあたり50Rs(スリランカ・ルピー)が相場です。(深夜は日本のタクシー同様値上がりすることも。)

 

ただメーターがないからこそ運転手とのやりとりを楽しめる部分もあるとは思います。

やりとりと言っても

「日本から来たの?どの市?」などと楽しく会話するだけではなくて

相場が高い観光地の運転手に値下げをおねだりしたり、

値段交渉で喧嘩に至ったり、

などと面倒なやりとりもいっぱいです。

 

けれども日本では基本的に示された金額をそのまま受け入れることが日常なので

「わかったわかった。君たちはラッキーだよ」なんて言われながら

値段の勝ち負けをかけてじりじり話し合うのも面白いポイントの一つかもしれません。

 

 

Case2:精算機のないバス

トゥクトゥクはどこでも乗れるので便利ですが、バスは圧倒的に安い交通機関です。

表示が何もないので初心者にはハードルが高いですが、慣れると安く移動できます。

この国は精算機がないので、運転手の他に集金係のおじさんが乗っています。

スリランカのバスはエアコンがないことと彼らによって「アツい」ものになっています。

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スリランカには時刻表やバス停の標識は基本的にありません。

バスがやって来ると集金係の人が停車駅をすごい速さで叫びます。

山手線外回りで言うと

「渋谷原宿代々木新宿新大久保高田馬場!!!!!」

 

関西の方向けに言い換えると

「大阪天満桜ノ宮京橋大阪城公園森ノ宮!!!!!」(環状線外回り)

といった具合。

 

もちろん聞き取れるはずがないので、私の場合「秋葉原!!!」といった感じに降りたい駅だけを叫んで聞いていました。

(バスはトゥクトゥクと比べ英語話せない事の方が多かった気がします。) 

停車時間は10秒もない(厳密には減速だけで停まらない)のでいそいそと乗り、ザ・南アジアなBGMが流れる暑い車内へ。(BGMの有無はバスによります)

発車すると集金のおじさんが回ってくるので、降りるバス停を告げてお金を渡します。

ものすごく混んでいるバスでも回ります。全員分回収できているのがすごい。

 

彼らはすごく険しい顔をしているので見た目は怖いですが

席が空けば「あそこ座りなよ」とジェスチャーしてきたり、私が降りる瞬間「WELCOME JAPAN!!!」と声をかけてきたり、親切で可愛いところもあります。

そしてバス停に着けばドアから顔を出し、バス停の名前を叫ぶ。

スリランカのバスは彼らのおかげでにぎやかです。

精算機付きのバスが普及すれば彼らはどこに行っちゃうのだろうと思うと

このままであって欲しいという思いも湧いてきます。

 

 

Case3:ドアのない電車

路線の数は多くないですが、スリランカの主要地は(特に海岸部)電車で移動できます。

路線バスとそこまで所要時間が変わらないので地元民にとって日本ほど主流な移動手段ではありません。

改札機はないので窓口で切符を買い、降車駅を出る際駅員に見せます。

 

鉄道に限らずバスでもそうなのですが、スリランカの交通機関で大きな特徴として

ドアが閉まりません。

(東京ではホームドアが普及してきているというのに!)

 

安全的に問題大ありなこともお構いなしにスリランカ人は入り口ギリギリのところに立ったり、車両から身を乗り出しています。

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上の写真はクロスシート(新幹線タイプ)の車両。下はロングシート(電車タイプ)の車両。

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日本より遅いとはいえ、あの大きなドアを開けたまま走るのはちょっと怖い。

でもこのドアというちょっと特別な枠で見る景色がなかなか良いんです。

 

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(コロンボの川や池は緑色。)

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ある時は村の生活を見せ

時には綺麗な浜辺の夕日を見せる。

 

電車のドアの向こうで移り行く景色は映画の色々なシーンを見せられているようですが

ぜんぶこの国で営まれる生活の一部であり、誰かの日常です。

 

「あの人は何をしているのだろう?」

「これから家に帰って夕飯を支度するのだろうか」

 

日本ではぼーっと眺める電車の外の景色ですが

スリランカの電車入り口に立ち直接見ると

クリアな視界や音、匂いによって外の生活がリアルに伝わってきます。

本来出発地と目的地をつなぐだけの鉄道ですが

この国ではその間の土地も伝えてきてくれる、とても魅力的な乗り物です。

 

 

スリランカはまだまだ発展段階なので、機械化が進んでいないものはたくさんあります。

しかし機械がやってくれないからこそ、そこに生まれるものも確かにありました。

今回は「ないもの話」をしましたが、日本になくてスリランカの交通機関にあるものもあります。

また機会があればぜひ。

 

冒険の夏と真っ白な春

 

 

前回のブログ更新から2週間があっという間に過ぎ、つい2日前日本に帰国しました。

(ブログ全然書かんやん!という声をいただいてますがまだ書きます詳しくは後述!笑)

 

普通ならここでスリランカの思い出を遡ったりfbに感謝の気持ちを述べた投稿をするのかもしれませんが、

そして昨日までの自分の感情を率直に言うと

「苦しい」

でした。

 

 

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「また気ままに過ごしてたい」とずっと思っていた自分の部屋に戻り

ずっと弾きたかったベースやギターもいつでも触れる環境になり

6週間待っていたクローゼットからお気に入りの服を出して着て

会いたかった友人にもちょくちょく会っているのに、なぜか気持ちが晴れ切らない。

 

「自分は今の何かに違和感を抱いている」とはっきり自覚したのは、梅田のサンマルクカフェでコーヒーを飲むという(図らずもブログタイトルに呼応するような状況で笑)待ちゆく人を眺めていた時でした。

スリランカにまた戻りたいとか、メンバーが恋しいかと言われれば違う気がするし

帰国していきなり就活を本格的に始めたことへのストレスでもない。

 

「じゃあ自分が戻りたかった日常って何だったんだろう」とか考えてもわからないし、向こうでよく食べた野菜とかスーパーで見かけると落ち着かなくなる。

違和感の正体や自分の求めているものが考えてもわからず、好きなことをして目の前に集中することで苦しい気持ちから逃れようとしていました。

(逆カルチャーショックかな?とも思って調べてみたのですが違うみたいでした。)

 

そんなことをしていたら、Whatsapp(向こうで使っていたSNS)にメンバーから1通のメッセージが。

私と同じ日に帰国したベトナム人からのメッセージです。

 

 

"Its so boringgggggg"

 

 

「あ、私もこんなこと思ってるのかも」

ストン、と落ちてきました。

 

思えばスリランカでは帰国当日まで色んな国の人と伝統産業の為に一緒に活動して色々な話をしたり、世界遺産を訪れてはスリランカの知らない歴史を新たに知ったり。

毎日新しい挑戦や発見のあることが当たり前になっていた私は、日本での日常にも無意識にそれらを期待していたのかもしれません。

 

「夢を見ていたみたいだ。」

 

帰国した翌日に就活スーツを着て梅田を歩きながらスリランカでの日々を思い出し、ずっと思っていました。

しかし今は“夢のよう”ではなく“過去”として自分の中で位置づけることができています。

そうしたら少し寂しさを感じるようになりましたが、「次に進まなきゃ」という気持ちも出るようにもなりました。

 

毎日部屋を一歩出た先に冒険が待っていた暑い夏はもう終わり

真っ白で綺麗で、だからこそ自分で彩らなければいけない麗らかな春を自分は生きていたのです。

 

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「さて、じゃあ何をしようか」

毎日発見を得たいなら、まずはこれまで怠っていた本を読もうと思いました。

髪型を一新しようと思い、研修に行こうと決めた頃からずっと伸ばしていた髪も今日ばっさり切ってきます。

他には何ができるだろうか。

大阪で過ごす恐らく最後の1年、日々充実させていきたいです。

 

滞在記としてはじめそんなに更新しなかった(笑)このブログですが

スリランカで体験した誰かに伝えたいこと、考えたを忘れないうちに書いて形にする

スリランカに興味持った人の為に有意義な情報を残しておく

という当初の目的から、まだ書きたいことが残っているので少し続けようかなと思います。

行く前にネットで散々探してもほとんど得られなかったビザについて情報蓄積しておきたいなとかも思っています。

「もうライオンの島いないやんけ!」と思う方もいるかもしれませんがどうぞお付き合いください!

 

 

 

小さな島の大きな自然

 

国立公園

と言われると私は小さい頃に動物番組で観ていたアフリカの大地を思い出すのですが

実はこのスリランカにも南東部を中心に国立公園がいくつかあります。

この休日はバスを乗り継ぎスリランカ最大のヤーラ国立公園へ行ってきました。

 

南西部コロンボから総計6,7時間かけたバス旅で、ホテルへ着く頃にはへとへとに。

しかし朝早い方が動物を多くみられるというので、まだ日の出てない真っ暗な翌朝5時にジープで出発です。

(この5時に間に合わないと課徴金が発生するとジープのドライバーに言われました。

思ったよりもスリランカ人は時間に厳しい…)

こちらがそのジープから撮った写真です。

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ぶれぶれ。

アドベンチャー系アトラクションに乗ると乗り物がガタガタ揺れるのはお馴染みですが

道路が舗装されていないのでたしかに揺れます。アトラクションよりもよほど揺れます。

(一度大きな凹みを通った時は身体が勢いよく上がり過ぎて男の子はジープの天井に頭ぶつけてました。)

みんなで大きな揺れにきゃあきゃあ言ったり、星空が綺麗と身を乗り出して眺めるのも束の間。

大きく揺られながら長いこと走っている間に静かになり、しばらくして入り口の看板が見えてきました。

 

時刻は5時半すぎ。

まだ静かな夜明け前、少しばかりの緊張感を漂わせて国立公園に入ります。

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木に囲まれた道を抜けると、池が見えてきました。

朝焼けを受けているそこにワニがひっそりとたたずんでいます。

少し先に進むと茂みの奥にゾウがいました。

遠い向こうの地から太陽が昇ってくると、肌寒かった大地が強い光を浴びて

神秘的な空気を放っていたそこは徐々に活発さを見せ始めました。

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(木にサルが群れでいます。お母さんザルが子ザルを抱えているのも見ました。)

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(ウォーターバッファローです。その名の通り本当に水の中も入ります。)

 

様々な動物はもちろんのこと、印象的だったのは目に入ってくる自然の壮大さ。

長い時間をかけ、草木が人の手を受けずただ雨と光を浴びて培ったものは

まさに人間の想像を超えるスケールで、しかしそれが当然かのようにただそこに広がっていました。

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(蓮の花が広がっています。奥にある岩はその形から「象の岩」と呼ばれています。)

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(ヤーラ公園は南東端にあるので砂浜もあります。)

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自然の闘争に負けて倒れている樹木は

何十年後かには土に還り、やがて新たな生命の一部となるのだろう。

大きな棘をもったあの綺麗な花は

何十代もかけ、虫を惹きつける綺麗な花と動物から身を守る棘を

生き残る術として残したのだろう。

そこに流れている時間は一つの生命で測れるものではなく

自然は超越した存在として目の前で対峙する人間をもその一部として包み込んできます。

その悠然さは神格化されるにふさわしいほどで、いわゆる「自然崇拝」が存在する理由をそこで感じた気がしました。

 

 

実は色んな理由があって基本的に動物園はあまり好きではないのですが

国立公園はすごくすごく好きだと思いました。

ここでは様々な動物が、自然の中に持ったそれぞれの文脈で生きています。

そこに人間の入る余地は基本的にありません。

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(道を歩いていくクジャク。ジープの下をよく見れば色んな動物の足跡があります。)

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(この時ちょうど電話きてどこにいるか聞かれたので「ゾウの前にいるよ」と答えたらベトナム人の友人に「クレイジーだな」と笑われました。)

 

「この檻に行けば会える」という動物園の常識が全く通用しないなかで見に行くのは

まさに自然の世界を覗き込むみたいで、ワクワクさせられます。

そこで会う動物たちは決して檻の中に閉じ込められた「消費対象としての動物」とは違い、同じ大自然の中を生きるものとして我々と存在を共にします。

その対等さが、人間が文化的生活の中で忘れてしまった「生きる物」としての意識と緊張をわずかでも呼び覚ます気がするのです。

 

そんなことをぼんやり考えながらジープででこぼこ道を抜け、やがて舗装された道路が見えると

「もう揺れて疲れることはないんだ」と自然から文化の中へ喜んで消えました。

 

スリランカの宗教2~世界四大宗教まわってきました~

スリランカには世界四大宗教が集まっているということを以前の記事で紹介しましたが

一昨日はその四大宗教の教会ないし寺院巡りをしてきました。

初めに言うと、とってもとっても長いです。(笑)

それでも1日で見た全てを同じように感じてほしくて、あえてわけず一つの記事にまとめて書いてみました。

 

「願い事をしたら、またお祈りをしに行きなさい」

最初に行ったのはローマ・カトリックの教会でした。

最大都市コロンボからバスで数分、その名もSt. Anthony's Shrine。

(ChurchじゃなくShrineなんですよね。)

ここはもちろんキリスト教徒が行くところであるものの

キリスト教徒以外の立ち入りが禁じられていることがなく、ヒンドゥー教や仏教徒なども実は立ち入ります。 

 

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中へ入って見ると普通に教会なのですが、そこには大小様々な聖像の入ったショーケースが並んでいました。

そしてそのケースにベッタリと手を当てている男性の姿が。

手跡をガラスに残していくのは日本だと中々悪目立ちしそうな行為な気がしますが、よく見るとその男性に限らず実はみんなガラスに手を当てて祈っています。

聞いてみるとケースに手を当てている彼らにとってはただ手を当てているのではなく、気持ちでは聖像に触れているのだそうです。

見渡してみればすべてのケースに色々な人の手跡が、神に触れた跡が残っています。

 

人々は手を合わせて何かを呟いては神に触れ、それを何度か繰り返しすべての聖像を回り、塩と胡椒の実が混ぜられたものを礼拝堂に置いてある入れ物から手に取り口に入れるのです。

(この塩と胡椒はこの教会独自のものらしいです。大航海時代貿易の中継地だった名残かなと勝手に思っています。)

 

讃美歌はなく、聞こえるのは神に捧ぐかすかな声。

壁画や彫刻よりも、そこで神に祈る人々が印象に残るような教会でした。

 

そんな教会で一番目立っていたのは中央手前にある聖母とキリストらしき像で、そのケースにだけは紙のようなものが何枚か外から入れられています。

それはお札ではなく願い事を書いた紙を入れているそうでした。

誘われたので願い事を書いて入れたところ、それを見ていた一人のおじさんが親しげに英語で話しかけてきました。

 

「願い事をしたら、またお祈りをしに行きなさい。

ここに来るのは難しいだろうから、自分の国の教会に行きなさい。

願い事しっぱなしではだめなんだ」

親しげに、それでも諭すような口調で「言ってることわかる?」と聞かれたので

少し気後れしながら「わかった」と答えると彼は満足げに教会を出ていきました。

 

表面的な軽さを出しながらも強く言ってきた彼の言葉は

「遊び感覚で神を使うんじゃない」というような、静かな怒りすら感じられるような気がして

一緒に願い事を書いていた台湾人のシエンは教会を出てから「本当に行かなきゃいけないのかな?彼が少し怖かった」 とこっそり私に伝えてきました。

 

 

「ココナッツジュースをかける理由?神を満足させるためだよ」

次に向かったのは教会から徒歩1分くらいのところにある建物。

タミル人が信仰するヒンドゥー教の寺院です。

ヒンドゥー教と仏教は関わりがあるので、仏教徒も来るのだそう。

入り口を通ると牛舎に居る牛たちが最初に出迎えてくれます。

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教会と違いここでは靴を脱がなければならないので、靴置き場に靴を置きメインの広場へ。

この日はヒンドゥー教徒の祭日「マハーシワラトゥリ・デー」であり、色様々なサリーを身にまとい眉間に赤いペイントを施した人々がたくいんいました。

奥に進んでみると人でごった返している建物が。

たくさんの供え物に囲まれながら僧侶が座り、そこにたくさんの子供たちが何かを順番待ちしているかのように並んでいます。

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この日はヒンドゥー教の最高神の一柱であるシヴァ神が女神パーヴァーティーと婚姻を結んだ日であるとして、子供たちは儀式を受けヒンドゥー教徒として入信するのです。

(年に何回かの契機にこのような儀式を行うそうです。)

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(子どもが儀式を受けている間、母親らしき人がスマホで動画を撮っていました。)

 顔にペイントを施して体に白い粉をまぶし、布で出来たものをかぶせてしばらく唱えた後布を取り外すと、小さな子は立派にヒンドゥー教徒となります。

 

新たなヒンドゥー教徒が誕生するその場を離れ、一番メインの建物に向かいました。

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こちらがメインの建物です。

建物の前には人々によってたくさんのろうそくが置かれています。

水道で手足を洗い、帽子を外して人ごみに紛れながら建物の中へ。

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建物の中は薄暗く装飾された柱が並び、何か所かに像が見え

中央部は一段高くなっており、そこにある小さな部屋の一つにはシヴァ神の像がありました。

 

建物は暗いながらも人々の熱気であふれており

像に列をなす人々のどよめきと、熱を冷やそうとする大きな扇風機の音が響く中

時折高い鐘の音が小刻みに鳴り続け、僧侶の声が聞こえてきます。

何人かは地面に跪いて頭を地につけ 、人々が身にまとうサリーで様々な彩りが目にちらつき

少し視線を上げればライオンを象った柱の彫刻と天井の隙間から差し込む柔らかな光が

そんな多くの人混みをものともせず、空間の荘厳さと神聖さを放ちます。

 

眼前の光景を見ながら考えていたのは、以前ポーヤ・デイに訪れた仏教の寺でした。

満月の下、白を象徴するような空間で静かに祈っていた仏教徒のシンハラ人と

太陽が差し込む薄暗い空間の中、彩りある衣装で熱気に包まれながら神に祈るヒンドゥー教のタミル人。

この国をなす2つの民族や宗教の対称性がひどく印象的で

スリランカに来た初日に会ったスリランカ人の女の子が言っていた、「この国は多文化共生なのよ」という言葉が表すものをまさに目にした気がしました。

 

 

奥に進んでみると、一段高い中央部で大量の必死に牛乳を開けている僧侶たちの姿が。

山になっている牛乳を開いては水瓶に溜めています。

彼らの傍らキングココナッツ(スリランカで身近なココナッツ)の山も。

気になって近くで見ていたら、品のあるおじさんが発音の良い英語で話しかけてきました。

彼らは牛乳とココナッツジュースで毎日神像を洗うのだそうです。

牛舎にいる牛はこの牛乳をとるためにも飼われています。

たしかにヒンドゥー教では牛が神聖な動物でありヒンドゥー教国インドでは多くの牛を道端で見かけるなんて話もありますが

「じゃあなんでキングココナッツ?」という疑問が。

神聖なものとして考えられているのだろうかと思い、「キングココナッツをかける理由があるの?」と聞いたら、返ってきたのは

 

「ココナッツジュースをかける理由?神を満足させるためだよ」

というひどくシンプルな答えでした。

「キングココナッツジュースで洗い、牛乳で洗う。そうすると彼らは満足するんだ」

特別な理由を抜きに、ただ単純に「満足するから」というだけ。 

「あぁ、そうか、ただ人の為を思うのと一緒か」と意外なところで納得しました。

 

(否定的な意味でなく)特定の神仏への信仰心が薄い一般的な日本人は

「縁起がいい」「運気が上がる」といったあくまで“それを行う自分”を起点に考え、その対象についてはそこまで考えずに宗教的な行いをすることが多いように感じられます。

 教会で話しかけてきた少し怖いおじさんも寺院の親切なおじさんも、当たり前だけどもそれぞれの神が実在すると信じていて、だから当然のごとく“神”のためを思って何かをするのです。

 

「罰があたるよ」

幼いころ、両親に「神様が空から見ているから」と何か悪いことをするとよくそう咎められていました。(ちなみに共々仏教徒です。)

「お天道様」にも当てはまると思うのですが、この「神」は特定の誰かを指しているというよりかは「人間を超越した何か」といった漠然とした存在に近いかと思います。

 教会で諭されたことと、寺院でしれっと言われた言葉に感じた得体の知れない感覚は

「それを話す彼らの目に特定の誰かが映っているかのように感じられる」、ということでした。

 

当たり前だけども、それが「信仰」なのです。

 

 

「私らは唯一神を信じる!モスクに像がないのは神が唯一メッカにしかいないからさ!」

ヒンドゥー教の寺院を後にし、トゥクトゥクをぎりぎりで4人乗りして10分ほど着いた町中にモスクがありました。

あまりにも町中で「どこにモスクあるんだろう?」と思っていたのですが

トゥクトゥク(三輪のバイクタクシー)を降りて振り返ってみると、視界に飛び込んできたのがこちら。

 

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な、なんだってー(°Д°)

なんだこの建物は。

見た瞬間に浮かんだのは訴訟問題が起きたことでも有名な某漫画家の赤白の家でした。

 

どうしてこのモスクがこんな奇抜な色をしているかというと、こちらの果物をイメージしてデザインされたそうです。

 

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ザクロです。なるほどたしかに赤白。

(ザクロはコーランに登場しエデンの園で育っているものなのだそうです。たくさんの実がなるから豊穣の実ともされるとか。)

こちらの建物はまだ工事中なので別の入り口から靴を脱いで中に入りました。

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ここのモスクで1000人のムスリムが祈祷できるようになるそうです。

ちなみにこのモスクは従来のモスクを増改築するような形で公示されており、下写真のシンプルな左側の部屋が旧モスクのものとなります。

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(壁にある黒い看板には日の出時刻など祈祷に必要な時刻の情報が載っています。)

女性は立ち入り禁止なので女性陣はここまでしか入れず、男性陣だけがモスクの中に入っていきました。

彼らの他にも何人かの白い帽子を被った男の人たちが裸足でモスクに入っていきます。

その様子を見ていたらモスクから出てきた、これまた1人のおじさんが話しかけてきました。

 

コーランには私が学校で学んだことも、仏教の考えもすべてが書かれているんだ。翻訳版を探してコーランを読むべきだよ」

彼は最初ムスリムだったけれど考え方に悩んだ末キリスト教に一時回心し、最終的にはムスリムに戻った今、イスラム教に誇りを持っているということでした。

そんな彼が言っていたのは「私たちは唯一神を信じる!モスクに聖像がないのは神がメッカにしかいないからだ!」という、自らが信じる神への絶対的自信。

しかし同時に「唯一」という言葉はまるで他を寄せ付けない、排他的な雰囲気を放っているようにも聞こえました。

 

「今回私は君たちに一つの機会を与えた。天国へと導かれる道だ。」

そういった彼もまた満足げにモスクを出ていきました。

 

 

「何も考えるな。自分の気に集中するんだ」

最後に訪れたのは仏教の寺でした。

こちらもコロンボ中心地近くにあります。

二つ訪問した寺のうち、最初に訪れたのは湖に浮かぶ小さな寺でした。

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小さな本堂には献上された様々な仏像が置かれていて

日本から献上された一番大きな仏像が中央に立っています。

 

スリランカの寺は仏塔、菩提樹、仏像の3つの部分を持っています。

仏塔と言えば日本では五重塔、三重塔が基本ですが

インドやスリランカではドーム状のものが仏塔すなわち「釈迦の墓」とされています。

五重塔の先端に見られるお椀状のものがこの仏塔を象っていることになっていたはずです、たしか。(出典:中3の修学旅行で調べた微かな知識)

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(左が菩提樹、右が仏塔)

 

さてこの寺も小さいながら菩提樹があり、スリランカ人の呼びかけによってみんなで瞑想を行いました。

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「息を吸って、はいて」

「何も考えるな。自分の気に集中するんだ」

 

目を瞑れば都会の喧騒が遠くから聞こえ、風が身体をすり抜けていくのを感じます。

ここは騒がしいから集中するには少し時間が要りましたが、何も考えず自分自身に集中するというのは気が少し研ぎ澄まされるような感覚になりました。

 

 

ちなみに、上の写真の左隅に小さなお堂と像があるのが見えるでしょうか。

ピンク色の肌をし手前の像とは対照的にカラフルな彩りをしているそれは、察しの通りヒンドゥー教の神像です。

この国では仏は現世利益に関わらないので、人々は仏像に参拝した後ヒンドゥー教の神々に商売繁盛など現世利益を願います。

そういうことで、なんとこの国では仏教の寺にヒンドゥー教のお堂と神像が置かれているのです。

別個の民族による別個の宗教ながらも、同じ源流を持つものとして共存性をもつというのもこの国をより面白く感じさせます。

 

次に訪れた寺は有名なところで、大きな菩提樹が歴史の深さを感じさせとても綺麗でした。

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この寺では仏像に蓮の花を捧げ、この菩提樹に水をやり、しばらく見学して寺を後にしました。

 

たった半日で4つの宗教をめぐり、様々なことを感じましたが

総括して思ったのは宗教が彼らの世界の理となり、様々な文脈がそれぞれに流れているということです。

教会でショーケースに手を合わせ祈りを呟いていたおばあさんも

顔にペイントを施しヒンドゥー教徒となるわが子を見守っていた母親たちも

自慢げにコーランのすごさについて語っていたおじさんも

小さな水瓶に水を入れ菩提樹の周りをまわっていたおばさんも

自らが信じる理の上で世間を、自分を見て生きています。

 

小さな都市の中で彼らの世界は並行するようで時に交わりながら錯綜し

緩やかな調和を作る日本とは少し異なり、それぞれの独立性の強さから時折ふとした緊張感も垣間見えます。

それでも互いの違いを認識した上で受け入れ共存する人々には、独特の寛容さがあるように感じました。

 

もちろんこの国にも何も問題がないわけではないですが

近年問題になっている宗教対立について、「対立」という構造そのものを変える新しい解決方法の鍵が見つかるかもしれません。

 

 

らたん

ひさびさの更新だなぁと思いつつ、実は意外に3日ぶりくらいでした。

日をあけてる間に日本では17卒の就活がスタートし、

私も一応17卒予定なのでか弱いWi-Fiを駆使しながら蚊帳に覆われたベッドの上からぼちぼちアクセスしております。

といっても説明会の日程を見ては「あぁ~この日まだスリランカやぁ~」とすぐ投げ出してます。

わかっていたものの先行きは暗いですね(笑えない)

 

そんな就活を差し置きスリランカで何をしているかというと、ここ数日はこんなところへ。

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ザ・田舎。

スリランカ最大の都市コロンボから文化的に有名な都市キャンディに続く道にある小さな村です。

バスに乗ってたら恐らく30秒ほどで通過してしまうような、そんな村ではあるスリランカの伝統産業が営まれています。

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それが籐細工です。

このWeweldeniyaはかつて1500世帯の村であり、そのうち1000世帯の村がこの籐細工に関わっていたそうです。

それが今では20世帯まで減り、10年前まで100件ほどあったという籐細工の店も今ではたったの5件しかありません。

 

この産業が直面している問題の原因は様々ですが、大きな原因の一つはプラスチックの他の材料製品の普及です。

スリランカの家庭を訪れると居間にたくさんのプラスチック製椅子を置いている家をしばしば見かけます。

昔は籐製の椅子が置かれていたのですが、今ではより安価なプラスチック製に代わってきているのが現状です。

そうしてもう一つ大きな原因は立地。

他の製品に値段で押されている上に、最大都市コロンボから離れた地で販売していることがさらに状況を不利にしています。

 

しかしこうした籐製品はプラスチック製にはない手作りや自然素材独自の温かみが、そして木製にはないしなやかさがあります。

籐細工と言われると「昔のもの」というイメージがあるかもしれませんが、籐独自のしなやかさを使ってモダンな家具も作られているみたいです。

例えばお洒落なカフェやレストランで見かけるようなこのランタン。

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(Amazonより画像を拝借しました)

こちらも籐でできており、この村でも作られています。

 また、こんな椅子ができるのも籐細工ならではですね。

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(ヤフーの通販より画像を拝借しました) 

同じアジアの文化である故か、こういったモダンな籐細工も畳と見た目の相性が良く、籐細工のランプや座椅子など和室に置く人もいるみたいです。

 こうしてみると伝統工芸も形状やデザイン次第でモダンでお洒落なものになることができます。

 

さて、こういったモダンなものではなくとも日本でも籐細工は見かけますよね。

敷物・枕・椅子などは見たことがある人も多いのではないでしょうか。

しかし何より日本人として見るべきは刀の鞘。

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こちらも籐を巻いたものになっています。(籐巻きと呼びます。)

日本でも1000年以上前から籐細工が行われていますが、籐は通常東南アジア、南アジア、アフリカや南米に生息するものです。

では、どうして籐が生息しない日本の武士は籐を巻いていたのでしょうか?

実は日本の籐の起源は廃物利用にあるのです。

 

豊臣秀吉南蛮貿易が盛んだった時代、籐はそのしなやかさから梱包物を結ぶ縄として使われていました。

それを解いて水につけ、割り挽きにしたら強靭で使えるということだったので、武士が内職として弓や刀に巻いて使い始めたのが始まりです。

(籐家具はその後明治初期に製造技術が伝わりました。)

 

一見同じ籐細工でも、その背景には自然と共に生きるスリランカ人の精神と日本人のいわゆる「もったいない精神」とそれぞれの文脈があります。

文化そのものも大事ですが、文化は思想やその他の社会的背景と大きく関わっており、単純に伝統文化産業を継承する以上の意味を考えさせられます。

 

残念ながら日本の籐細工は高度成長期に意匠権の保護がなかったため、台湾やインドネシアの製品に壊滅的な打撃を受け職人が数十人まで減りました。

スリランカの籐細工は他国でなくプラスチック製品に打撃を受けていますが、この伝統文化が続くことを願うと同時に、この記事を書くことでみなさんに少しでもスリランカの籐細工について知ってもらえればと思います。

 

英語と転んだかたつむり

言語は、コミュニケーション手段以上の機能をもっているものです。

正しい日本語(この表現自体疑問を呈するものですが)や敬語を使う人がいればその人の育ちの良さや教養を感じさせるし、

同じ日本語でも砕けた言い方すれば心的距離の近さを暗に表したりもします。

このようなことを複数言語の使い分けによって行うのがスリランカ人です。

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(上からシンハラ語タミル語、英語です。シンハラ語は文字が可愛くて地球の歩き方では「かたつむりを転がしたよう」と表現されています。)

スリランカではでは基本的に3種類の言語が使われています。

シンハラ語の文語、口語、そして英語です。

シンハラ語の文語と口語は文法から異なるもので、前者は書物などに、後者は会話などに使われます。

英語も基本的にコミュニケーションに使われるのですが、じゃあシンハラ語口語と何が変わるのかというと、英語で話す方がより公的と考えられています。

 

英語が連結語として憲法上認められているのはイギリス領時代の名残ではあるものの

西アフリカ諸国のような多民族国家の為英語がないと国家が成り立たない、というほどでもありません。

彼らが3種類の言語を使い分けている背景には、この国を語る上では欠かせない階層主義と、純血主義があります。

 

カーストといえばインドに見られる社会階層の事を思いつきますが、実はスリランカにもカーストはあります。

とはいってもインドと大きく異なるのがインドカーストにおける最上位(ブラフミン)と最下層(不可触民)が存在しません。

それでも同じカーストとの恋愛・結婚を現代でも求められるし、「清掃員はあの階層がやるもので、自分たちがやることではない」といったように階層が職業に対する意識にも影響しています。

ちなみに日本含め大多数の国では「カースト=差別的」と捉えますが、別の見方をすれば分業社会とも捉えることもできます。

たしかに職業の自由はありませんが、予め身分や階層に応じてある程度職業を指定されていることによって、一部の氏族が社会を独占することができないのもまた事実です。

こうすることによって様々な人々が共存することを可能にしたのが彼らにとってのカーストなのです。

(こうしてみるとカーストは資本主義とも社会主義とも少し違う、また別の社会の在り方として考えられるかもしれません。)

 

そういった階層意識と言語に何の関係があるかというと、英語を話すことで自身の地位がある一定以上であることを示すのです。

英語を話せるスリランカ人については大体において一定以上のカーストにいることが伺えます。

だから彼らはシンハラ語で会話しながらも、時折あえて英語に切り替えて会話することでお互いのステータスを確認するそうです。

現代の日本も英語の語学力が職業に影響する点は同じですが、日本は単純にスキルを証明するのに対しスリランカでは自身の階層やなるにふさわしい職業を証明するという意味で英語の語学力が職業と関わります。

 

逆に英語で話しかけることは、この国においては相手を一定以上のカーストとみなすある種の敬意を表していることにもなります。

もしホテルマンに英語で話しかければ、それだけで彼らに敬意を表していることになるのです。

 

こうして英語による機能を重視する一方で他のシンハラ語タミル語も同じくらい、または英語よりも大切なものと考えられています。

現在は国民の大多数を占めるシンハラ民族のシンハラ語とタミル民族のタミル語公用語となっていますが、イギリスから独立した当初はどちらの言語が公用語になるのか大きな争いになりました。

学校によって教えている言語が違ったため、公用語が何語になるかによって学校と社会階層の関係も大きく変わることになりかけていたというのも一つあります。

しかし何より公用語であることがスリランカの主流であること、スリランカは自分たちの国であることの証明になったのです。

結果として先にシンハラ語公用語となったのですが、その中でも文語と口語を使い分けているのは

シンハラ語の文語だけがシンハラ民族の精神文化を表現するものとして考えられていたからです。

 

このようにスリランカの言語文化の背景にはスリランカ人の階層主義と純血主義があります。

彼らは英語を使うことで自身のステータスを表明し、一方でシンハラ語を使うことで自分たちの伝統や精神文化を確認するのです。

「10数年後には翻訳機能が発達して、すべての言語とコミュニケーションが取れるようになる」なんて話もあったりしますが

一つの言語文化に様々な社会様式や精神文化が背景にあることを考えると強引に翻訳する行為はそういった背景を無視することになるだろうし、その差異をあたかもないかのように扱うことはある種危険とも言えると思います。

 

言語がある土地の人間によって作られた、物理的質量を持たないその土地付近の人間の為にあるツールであるのだから土地の気候やそこに生きる人に合わせて変化を遂げるのは至極当然なことです。

 

ら抜き言葉」をはじめとした若者言語を挙げて「何が正しい日本語なのか、正しくない日本語なのか」などが議論に上がる今日の日本ですが

「何を失いたくなくて変化を恐れるのか、変化する中で何を守りたいのか」

そんなことを一度考えてみてもいいのかもしれません。

 

Is this GLOBAL AIESEC?(小話)

今日は時間に余裕があるので、小話も少し。

(内容がアイセックのメンバー寄りになるかもしれないです。あらかじめご了承を。)

 

私は学生NPO団体アイセックの海外インターンシップスリランカに来ています。

アイセックとは世界126か国に支部があり、相互にインターン生を送り出し・受け入れすることによって海外インターンを運営する学生団体です。

実は私も3週間くらい前に引退するまではメンバーとして活動していたので

引退した身とは言えど"I am an AIESECer"(アイセックメンバーの事をアイセッカーと呼びます)と言われれば「同じ組織で活動していた同志」ということになるわけです。

今回はスリランカ関係ないですが、番外編としてその「アイセック」という一つの組織で結ばれた不思議なご縁の話をします。

グローバルな団体の人がグローバルなところに出ていくとこんなことが起こるんだなぁという風に見てもらえれば。

 

小話1 スリランカのビーチで彼の名を叫ぶ

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(さもタイトルから連想させるものっぽい写真ですが、ほんと偶然に撮れた写真です笑)

 

スリランカ滞在1日目にコロンボのビーチにみんなで来ていた時のことです。

砂浜で波と戯れたり砂で1人の子を埋めたりしながら遊んでいたのですが、突然背後から

”Hey AIESEC!!”

とアイセック定番のかけ声が。

後ろを振り返ってみると、中国人の女の子が2人立っていました。

話してみると彼女らも中国のアイセックで、スリランカ人がアイセックTシャツを着ているのを見て声をかけたそうです。

アイセックの話なら私もできるので「3週間前まではこの役職してたよ~」みたいなことを話していました。

アイセックでは若干の違いがあるものの組織の役職名が各国共通なので、それを言うだけでどこで何をしてる人なのかお互いすぐに理解できるだけでも結構感激しました。

が、何より驚いたのは片方の女の子と話してる最中に

「へぇ~、それはすごいですね~」

と唐突に流暢な日本語が飛んできたことです。どういうことだ。

 

話を聞いてみたらなんと、もう一人の女の子はただの中国のアイセックメンバーではなく、昨年日本に長期間インターンに来ていた子だったのです。

しかも同じ大阪府だからさらに驚き、共通の知り合いがいそうということで知っている人探し。

最終的にはスリランカのビーチで同じ府内にある大学委員会の委員長の名を叫んでました。

(スリランカで話題に上がる日本人なんてなかなかいないのですごいですよ笑)

 

直接の知り合いではないものの、いきなり距離の近い存在と会ったような感覚になりすごく驚きました。

小話2 一つ屋根の下で、初めて会った異国の女の子と

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(左からダルシャナとニシャン。陽気な彼らもスリランカのアイセックメンバーです。)

今度はスリランカの女の子のアイセックメンバーとの話。

4日目の夜はハウスに彼女とコロンビアからの研修生とで3人泊まっていました。

研修生は長旅の疲れですぐに寝たのでハウスではほぼ彼女と二人きり。

最初は初対面らしいお互いのことを聞き合っていたのですが

気づけば彼女の背後に大量の羽虫が。(虫苦手な人ごめんなさい)

「虫虫虫!!!」

 

どうやら暗くなっても軒下の明かりを付けなかったせいで部屋の明かりに集まってきていたみたいです。

 

一気に緊急事態。彼女と大慌てで試行錯誤しながら虫を外に出すことに。

けれどもひと段落つく頃にはすっかり気が疲れながら、予想外の事態がおかしくて2人で笑っていました。

幸か不幸か虫の大量発生を一緒に対処したことにより落ち着いてソファーに座ったころにはすっかり打ち解けた雰囲気に。

それを察してか、元アイセックメンバーとしての私のことも知っていた彼女はアイセックに関する話をしてきました。

といっても内容は

「活動と学業どう両立したの?」とか

「アイセックやっていて何がよかったと思う?」とか。

まるで日本にいる後輩メンバーとするような話を、私は異国の彼女としているのです。

しまいには「次年度受け入れ事業の統括するか悩んでいるんだよね」と彼女は悩みを打ち明けてきて、私も私でそんな彼女に対し自分の経験について話していました。

お互いの悩みや感じていることをわかりあっていたりそれをお互い打ち明けたり。

初めて出会った異国の女の子なのにすごい長い間一緒に活動していた仲のような感覚ですごく不思議な気持ちになりました。

 

(元)アイセックメンバーとして海外に行くのは初めてだったのですが、すごく面白い経験をしていると思います。

初対面なのに同じ組織にいるとわかるだけで一気に親近感わいたり、お互いのことが少しだけどもわかったり。

しかも志だけで集まる学生団体として同じメンバーに出会うことは、社会人になって同じ会社の人と海外で会うのとは少し違い、懐かしい同志に会ったような気分にさせるのではないでしょうか。

そういった意味でもグローバルな団体であるからこそグローバルに出ていく意味や楽しさは十分あるのだろうな、と感じました。