ライオンの島でアフタヌーンティーをのむ。

6週間のスリランカ滞在記。

小さな島の大きな自然

 

国立公園

と言われると私は小さい頃に動物番組で観ていたアフリカの大地を思い出すのですが

実はこのスリランカにも南東部を中心に国立公園がいくつかあります。

この休日はバスを乗り継ぎスリランカ最大のヤーラ国立公園へ行ってきました。

 

南西部コロンボから総計6,7時間かけたバス旅で、ホテルへ着く頃にはへとへとに。

しかし朝早い方が動物を多くみられるというので、まだ日の出てない真っ暗な翌朝5時にジープで出発です。

(この5時に間に合わないと課徴金が発生するとジープのドライバーに言われました。

思ったよりもスリランカ人は時間に厳しい…)

こちらがそのジープから撮った写真です。

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ぶれぶれ。

アドベンチャー系アトラクションに乗ると乗り物がガタガタ揺れるのはお馴染みですが

道路が舗装されていないのでたしかに揺れます。アトラクションよりもよほど揺れます。

(一度大きな凹みを通った時は身体が勢いよく上がり過ぎて男の子はジープの天井に頭ぶつけてました。)

みんなで大きな揺れにきゃあきゃあ言ったり、星空が綺麗と身を乗り出して眺めるのも束の間。

大きく揺られながら長いこと走っている間に静かになり、しばらくして入り口の看板が見えてきました。

 

時刻は5時半すぎ。

まだ静かな夜明け前、少しばかりの緊張感を漂わせて国立公園に入ります。

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木に囲まれた道を抜けると、池が見えてきました。

朝焼けを受けているそこにワニがひっそりとたたずんでいます。

少し先に進むと茂みの奥にゾウがいました。

遠い向こうの地から太陽が昇ってくると、肌寒かった大地が強い光を浴びて

神秘的な空気を放っていたそこは徐々に活発さを見せ始めました。

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(木にサルが群れでいます。お母さんザルが子ザルを抱えているのも見ました。)

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(ウォーターバッファローです。その名の通り本当に水の中も入ります。)

 

様々な動物はもちろんのこと、印象的だったのは目に入ってくる自然の壮大さ。

長い時間をかけ、草木が人の手を受けずただ雨と光を浴びて培ったものは

まさに人間の想像を超えるスケールで、しかしそれが当然かのようにただそこに広がっていました。

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(蓮の花が広がっています。奥にある岩はその形から「象の岩」と呼ばれています。)

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(ヤーラ公園は南東端にあるので砂浜もあります。)

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自然の闘争に負けて倒れている樹木は

何十年後かには土に還り、やがて新たな生命の一部となるのだろう。

大きな棘をもったあの綺麗な花は

何十代もかけ、虫を惹きつける綺麗な花と動物から身を守る棘を

生き残る術として残したのだろう。

そこに流れている時間は一つの生命で測れるものではなく

自然は超越した存在として目の前で対峙する人間をもその一部として包み込んできます。

その悠然さは神格化されるにふさわしいほどで、いわゆる「自然崇拝」が存在する理由をそこで感じた気がしました。

 

 

実は色んな理由があって基本的に動物園はあまり好きではないのですが

国立公園はすごくすごく好きだと思いました。

ここでは様々な動物が、自然の中に持ったそれぞれの文脈で生きています。

そこに人間の入る余地は基本的にありません。

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(道を歩いていくクジャク。ジープの下をよく見れば色んな動物の足跡があります。)

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(この時ちょうど電話きてどこにいるか聞かれたので「ゾウの前にいるよ」と答えたらベトナム人の友人に「クレイジーだな」と笑われました。)

 

「この檻に行けば会える」という動物園の常識が全く通用しないなかで見に行くのは

まさに自然の世界を覗き込むみたいで、ワクワクさせられます。

そこで会う動物たちは決して檻の中に閉じ込められた「消費対象としての動物」とは違い、同じ大自然の中を生きるものとして我々と存在を共にします。

その対等さが、人間が文化的生活の中で忘れてしまった「生きる物」としての意識と緊張をわずかでも呼び覚ます気がするのです。

 

そんなことをぼんやり考えながらジープででこぼこ道を抜け、やがて舗装された道路が見えると

「もう揺れて疲れることはないんだ」と自然から文化の中へ喜んで消えました。