ライオンの島でアフタヌーンティーをのむ。

6週間のスリランカ滞在記。

らたん

ひさびさの更新だなぁと思いつつ、実は意外に3日ぶりくらいでした。

日をあけてる間に日本では17卒の就活がスタートし、

私も一応17卒予定なのでか弱いWi-Fiを駆使しながら蚊帳に覆われたベッドの上からぼちぼちアクセスしております。

といっても説明会の日程を見ては「あぁ~この日まだスリランカやぁ~」とすぐ投げ出してます。

わかっていたものの先行きは暗いですね(笑えない)

 

そんな就活を差し置きスリランカで何をしているかというと、ここ数日はこんなところへ。

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ザ・田舎。

スリランカ最大の都市コロンボから文化的に有名な都市キャンディに続く道にある小さな村です。

バスに乗ってたら恐らく30秒ほどで通過してしまうような、そんな村ではあるスリランカの伝統産業が営まれています。

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それが籐細工です。

このWeweldeniyaはかつて1500世帯の村であり、そのうち1000世帯の村がこの籐細工に関わっていたそうです。

それが今では20世帯まで減り、10年前まで100件ほどあったという籐細工の店も今ではたったの5件しかありません。

 

この産業が直面している問題の原因は様々ですが、大きな原因の一つはプラスチックの他の材料製品の普及です。

スリランカの家庭を訪れると居間にたくさんのプラスチック製椅子を置いている家をしばしば見かけます。

昔は籐製の椅子が置かれていたのですが、今ではより安価なプラスチック製に代わってきているのが現状です。

そうしてもう一つ大きな原因は立地。

他の製品に値段で押されている上に、最大都市コロンボから離れた地で販売していることがさらに状況を不利にしています。

 

しかしこうした籐製品はプラスチック製にはない手作りや自然素材独自の温かみが、そして木製にはないしなやかさがあります。

籐細工と言われると「昔のもの」というイメージがあるかもしれませんが、籐独自のしなやかさを使ってモダンな家具も作られているみたいです。

例えばお洒落なカフェやレストランで見かけるようなこのランタン。

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(Amazonより画像を拝借しました)

こちらも籐でできており、この村でも作られています。

 また、こんな椅子ができるのも籐細工ならではですね。

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(ヤフーの通販より画像を拝借しました) 

同じアジアの文化である故か、こういったモダンな籐細工も畳と見た目の相性が良く、籐細工のランプや座椅子など和室に置く人もいるみたいです。

 こうしてみると伝統工芸も形状やデザイン次第でモダンでお洒落なものになることができます。

 

さて、こういったモダンなものではなくとも日本でも籐細工は見かけますよね。

敷物・枕・椅子などは見たことがある人も多いのではないでしょうか。

しかし何より日本人として見るべきは刀の鞘。

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こちらも籐を巻いたものになっています。(籐巻きと呼びます。)

日本でも1000年以上前から籐細工が行われていますが、籐は通常東南アジア、南アジア、アフリカや南米に生息するものです。

では、どうして籐が生息しない日本の武士は籐を巻いていたのでしょうか?

実は日本の籐の起源は廃物利用にあるのです。

 

豊臣秀吉南蛮貿易が盛んだった時代、籐はそのしなやかさから梱包物を結ぶ縄として使われていました。

それを解いて水につけ、割り挽きにしたら強靭で使えるということだったので、武士が内職として弓や刀に巻いて使い始めたのが始まりです。

(籐家具はその後明治初期に製造技術が伝わりました。)

 

一見同じ籐細工でも、その背景には自然と共に生きるスリランカ人の精神と日本人のいわゆる「もったいない精神」とそれぞれの文脈があります。

文化そのものも大事ですが、文化は思想やその他の社会的背景と大きく関わっており、単純に伝統文化産業を継承する以上の意味を考えさせられます。

 

残念ながら日本の籐細工は高度成長期に意匠権の保護がなかったため、台湾やインドネシアの製品に壊滅的な打撃を受け職人が数十人まで減りました。

スリランカの籐細工は他国でなくプラスチック製品に打撃を受けていますが、この伝統文化が続くことを願うと同時に、この記事を書くことでみなさんに少しでもスリランカの籐細工について知ってもらえればと思います。