スリランカの宗教
スリランカは国民の約7割が仏教徒であり、残りが大体1割ずつヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教になります。
北海道くらいのサイズしかないこの小さな国ですが、そんなところに世界四大宗教が集結しているのです。
実際スリランカに行ってわかったこととして、街ではショーケースのようなものに入れられた聖像や仏像をよく目にします。
しかしよく見てみると
奥に小さくマリア像があるのが見えますが、この交差点の向かいに
この仏像が平然と建てられています。
例えば他にも、冒頭に載せたクルネーガラの仏像を登った時のことを話すと
山に登って街を一望している時、仏教徒のお経がどこかから聞こえてました。
しかしそれが止んだ十数分後、今度は別のモスクから祈祷の声が聞こえてきました。
この町では仏教の寺もタミル人(ヒンドゥー教徒)の寺もイスラム教のモスクもあり
毎日、仏教徒とイスラム教徒両方の声を聞くことになるそうです。
スリランカが他の多文化主義国と違って面白いのは、このようにそれぞれが地域を棲み分け別個に存在するのではなく微妙に融合しながら共生していることです。
(ただスリランカではかつてイギリス領から独立する際、ナショナリズム(≒対キリスト)の加速化で仏教徒が殺害を起した歴史もたしかにあります。)
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さて、私を泊めてくれたアイセックメンバーは仏教徒だったので
ここからは仏教の話になるのですが
スリランカの仏教徒は満月の日を「(フルムーン・)ポーヤ・デイ」と呼び
この日は祝日となって役所や銀行までも閉めて1日身体を休め
そして夜になると白い服を着て、白い花を持ってお寺に行きます。
スリランカ滞在2日目はたまたまこのポーヤ・デイだったので私もお寺に連れて行ってもらい、裸足になって一緒に参拝しに行きました。
(ここでは仏教の聖地では裸足にならないといけません。)
(左はアイセックメンバーのラビンドゥです。奥の光っているところに小さな仏像があり、花を添えてます。)
白い服を着て、籠いっぱいの白い花を持って
白く塗られた綺麗な寺をのぼり
誰かが唱えるお経の声と、鐘の音だけが聞こえる中
ある者は両手を合わせ、ある者はひざまずき地面に頭をつけて
お年寄りから小さな子まで、ただ自身の信じる存在にその信仰を体現する。
空には満月がのぼっていて、線香から薫る花の香りがあたりを包んでいる。
(左はラビンドゥの従妹。この階段は大きな仏像に続いてます。)
その様子を見ていて純粋に綺麗だなと素直に感じました。
ほんとはもっと言うべきことあるんだと思うんですけど(笑)、
何かをひたむきに信じる姿はその対象関係なく美しいと思うし
一方でその根底にある死への恐怖という存在は人間の脆さとはかなさを感じさせる。
そして同じ恐怖心を持つ存在として若干の羨望もあったりします。
(じゃあ何かしろよ、といえばそれまでですが)
スリランカの宗教について話した時「あぁ日本みたいだね」とも言われましたが、今は全然違うと思います。
お互い寛容である部分は一致している一方で
自身が信仰する宗教の生活そして考え方への関わり方は全く異なると言っていいでしょう。
自身の神または仏を強く信じると同時に、違う神または仏を強く信じることを認めるのがスリランカだと思います。
スリランカの宗教についてはたくさんおもしろいことがあるのでまた書きます!